こんにちは、
今回はMe様、としまえん仲間様、より貴重なコレクションの画像をご提供いただきました!
ではご紹介いたします。
先ずは昭和5年(ご提供Me様)
大プール、小プールが色々資料に書かれているとおり、確かに「プール」と「婦人プール」になっています、
よく、ネットで見かける古城ノ食堂、温室、噴水、睡蓮の池、音楽堂、ウォーターシュート、などはもちろん、小動物園、植物園、スベリ台、大ホール、大食堂、売店、茶屋なども記載されています。
昭和8年頃(ご提供Me様)
昭和5年との大きな違いはローラースケート場がある事、ヒコー船、電気自動車と乗り物が少しできてきました。
スポンサーはダイヤ菊、特売中だったんすね。
昭和17年頃(ご提供Me様)
横長の非常に貴重なマップですね、
桃太郎神社が建立されています。
元の大食堂はスポーツランドへ、乗り物では豆汽車が増えています、
以前の地図からここまで見てくるとフリュームライドがあった場所、つまり当時の大ボート池は、ブラワーエンジンあたりからあったのですね、
この地図では横長の為か位置関係が少々おかしいですが、以前、以後の地図で確認すると、
ウォーターシュートは流れるプールでサイクロンに手を振る辺り、
その少しハイドロポリス寄りからの傾斜を利用して石神井川を通過、フリュームライド池(大ボート池)に着水していた事がわかります。
スタート位置、多分この辺です(^^♪
昭和20年代前半(ご提供Me様)
大グラウンドは無くなり、そこへ汽車(のちに動物列車)、自動車、空中船が描かれ「スポーツランド」と記載があります、後のそれいゆエリア東側ですね。
もちろん元々あった豆汽車、マメ自動車、飛行船は相変わらず東側で活躍していたようです。
昭和31年(ご提供Me様)
野球場が無くなり、空飛ぶ電車、ユネスコ列車が走っています、また、テニスコートも4面ほど削られユネスコホールが建設されています、中央大食堂の前には回転ボート、豆自動車と子馬の間には鬼退治、小さなメリーゴーランド、トリックハウス、が増えています、鬼の絵がかわいいです。桃太郎神社は無くなっています。
北側の大きな建物は大食堂→スポーツランド→室内遊技場と変わって行きましたがここで初めて「豊島園ホテル」と記載されています。
昭和41年(ご提供Me様)
こちらはチケットの裏の様です、ミステリーゾーンがまだありませんので41年前半だと思われます、
だいぶ乗り物が増えてきました、昭和41年なのに本当に楽しそうな遊園地ですね、
昆虫館はこの頃「子供のプール」あたりにあったのですね、南東にはホテル別館、射的、ポンポン銃、楽しそうですね、そして興味深いのがサイクロンの軌道が描いてあります、これでプールロッカーの下をこのように回っていたことが良くわかります。
昭和44年(ご提供Me様)
きれいなマップです、ユネスコホール→インドアスキー→ローラースケートとなった建物が懐かしいです、ただ、外にもローラースケート場があったのは知りませんでした、ロープウェイが増えていますね、
大食堂も「レストランそれいゆ」に建て替わっていますが「それいゆ」は付いていなく「レストラン」との記載のみです。
昭和46年(ご提供Me様)
遂にエルドラド、アフリカ館、マッドマウス等々登場ですね、電話番号は3桁-4桁、料金表も興味深いです。
豊島園ホテル、ロープウェイ、ウォーターシュートは無くなり、フリュームライドが登場、レストランスワンの池は埋め立てられ広場になっています、ブラワーエンジンの場所ですね。
レストランは「レストランふるさとそれいゆ」と記載されています。
昭和47年(ご提供Me様)
こちらは46年とさほど変わりありませんが、お化け屋敷が出来ています、
レストランは丸い部分が「レストランそれいゆ」、四角い部分は「レストランふるさと」と記載があります。
昭和57年(ご提供Me様)
シャトルループ、コークスクリュー、など増えています、上のマップから10年経過していますので随分変わりました、
大好きだったローラースケート場は消えてしまいましたが、楽しい乗り物たちが続々登場しました、波のプール(昭和48年)、こどものプール(昭和49年)も登場、4隅の乗り物は特にとしまえんからの推しだったのでしょうね。
昭和59年(ご提供Me様)
フライングパイレーツ登場!ブラワーエンジン、フライングカーペット、レインボーなど過激な乗り物が増えてきました、この頃は3つのエリア分けを前面に押し出していたのですね、ペットは正門でお預かり、、って、のが少々不安残ります。。
平成2年(ご提供Me様)
ハイドロポリス完成です、と同時に観覧車無くなりました、、←個人的に寂しかった出来事。。
また、東エリアに駐車場ができました、この時は乗り物エリアが削られた感じがして少し寂しかったのを覚えています、因みに駅近の立体駐車場はまだありました、来場者数が増えていたのでしょう。
平成5年(としまえん仲間様ご提供)
この時期は来場者数がピークの頃ですね、トップスピンが人気ありすぎてトップスピンハードという動きのパターンがハードなものが追加されW稼働していました、それでもすごい行列でしたよ、当時は過激系の乗り物全盛期でした、閉園まで残っていた乗り物も多数あります、乗り物に並んでいた世代が今50代前後でしょうから遊園地で遊ぶ年代の人口の多さも来場者数ピークの要因だったのかもしれません。
平成7年位(としまえん仲間様ご提供)
本当にパンフレットは豆に更新されていたんですね、このマップで気が付いたのですがハイドロポリスがスライダーっぽい絵ではなく、以前の広場の様な図になっています(文字だけウォータースライダーハイドロポリスと記載)、ひょっとすると南側に関しては古いマップの引用?と考えてしまいます、その一番の理由はハイドロポリスからブラワーエンジンとフリュームライド間に橋が架かっているんですよ、実はこの橋、ハイドロポリスができる前、正面入り口から観覧車まで上って、乗り終えたら北側園内に向かう下り坂の下にあった橋なのです、
閉鎖されていましたが閉園時もしっかりありました、ブラワーエンジン前、ストライダーの川向うに坂道、下ったとこに橋が見えます、
アップにします
右に見えるのが橋です、何やら資材が置かれていました、もっとアップします、
観覧車に乗った経験のある自分にとってはここは懐かしく、よく眺めてました。。
平成19年(ご提供Me様)
いよいよ最後です、この年代は全盛期の若者年代が子育てに移行している時期で遊園地の立ち位置が少し中途半端になってしまいました(個人的感想)、しかし、しっかりと子供向け、子連れ向けの遊具、カーメリーゴーランド、ロッキンタグ、レディーバード、フロッグホッパー、ジャングルハウスなどが設置されていきます、それでも一時はいつ行っても結構空いていた時期がありました、子供時代、青春~大人、子供が出来てからもずっととしまえんで遊んでいた自分にとっては大丈夫かな、、と、少し心配していた時期でもあります、しかし、ちょうどこの後からバタフライダー、スナッピー、ミニフリュームライド、ミニイーグル、ミニサイクロン等々子供向け遊具が増え、閉園までどんどんお客さんが増えていきました、1996年生まれから2011年生まれまで5人の子供がいる自分がずっと見てきた「本当の事」です、閉園報道がある前、夏も冬も本当にたくさんのお客さんが来ていました、若いカップルもグループも、何より小さなお子様連れご家族が増えました、違う未来もあったはず、と、今でも悔しい思いは残ります。。
今回はこの辺で。
Me様、としまえん仲間様、画像ご協力誠にありがとうございました。m(__)m